今回は、理事長の私がコラムを書かせていただきます。

先日、9月14日は亡き母の10回忌でした。

 

アナタがもし、心から大切に思っている人、毎日、顔を合わせるのが当たり前と思っている人が、突然「余命三か月です」と宣告されたらどうしますか?

考えたくもない…
想像ができるわけがない…
それがキット本音でしょう。

私にはまだ関係のない事、私もそう思っていました。

父に「余命は3か月だから、後悔しないようにしなさい」と言われた時に「母に限ってそんなことがあるわけがない」となかなか現実を受け入れられずにいました。

しかし、どんどん衰弱していく母の姿を見るたびに、嫌でも現実を受け入れなければならなくなりました。

「後悔しないためには何をすればいい?」

考えて、考えて出た答えは「幼い頃に母が私にしてくれたように母の体に沢山ふれよう」と言う事でした。

 

母は「原発不明癌」と言う癌でした。

転移巣が先に見つかり、どこから発生したのか分からない腫瘍を原発不明癌と言うそうです。

 

原発部位が決められない原発不明癌は悪性腫瘍のうち3~5%であるとされている珍しい癌でした。

原発部位が分からないので、その部位に合わせた薬物治療ができません。

 

そして、腫瘍を取ろうにも大きくなりすぎ、他の臓器に癒着していて切除不可能でした。

そんな末期の母が病院からしてもらえたのは、痛みを取るモルヒネの投与と、どこの部位のものかわからない抗がん剤治療でした。

 

毎日、痛みと浮腫みに顔を歪ませる母、しかし私が病室に入ると必ず笑顔でいてくれた母。

この母の笑顔を最期まで守りたいと思いました。

 

当時、エステティシャンだった私に全身のトリートメントをされるのが好きだった母に、同じ様にリンパを今流してしまったら癌が活性化してしまうのではないか?と言う疑問が湧き、自分なりに毎日色々な本を読み漁り学びながら身に着けた「ふれ方」をやり続けました。

 

私が母にふれるたびに「薬なんかよりよっぽど痛みがなくなるね」と毎回笑顔で伝えてくれました。

幼い頃、お腹が痛いと母が優しく手を当ててくれただけで痛みがなくなるあの感覚を思い出しながら、優しく優しくふれました。

 

「大好きな人に優しくふれてもらうと痛みがなくなる」

子供の頃に経験されている方は沢山いらっしゃいますよね?

誰もがふれられて生きてきていますよね?

 

誰にもふれられずに生きてこれた人は居ないはずです。

誰かが泣いているアナタを胸に抱いたり、オムツを交換したりミルクを飲ませてくれたから、今の自分が存在するのです。

 

「ふれる」日常の中で当たり前に繰り返されるこの事は、あまりにも当たり前すぎて見落としがちな部分でもあります。

この「ふれる」と言う事が人が生き抜く力にもなりますし、正反対の看取る事にも大きく関わってきます。

 

「ふれる看取り」は、自分が経験したからこそ分かるのですが、残された側の人間の、その後の人生に大きく影響を与えます。

後悔しない看護や介護ななかなか難しい…

どんなに最善を尽くしても相手を想う気持ちが強ければ強いほど「もっと何かしてあげられたのでは」と後悔をするのが、感情を持つ人間なのだと思います。

しかし、その後悔をただの後悔で終わらせずに次に繋げていける事が出来るのが「ふれる看取り」なのだと私は思います。

 

今の私なら「ふれる事でオキシトシンが分泌し、痛みを緩和するんだよ」「ふれる側のオキシトシンが分泌されるから幸せな気持ちになれるんだよ」と分かりますが、当時の私は少しは理解していたものの理論的なことではなく、本能で母にふれる事を選んでいました。

 

「ふれ合う」それが母が私に一生を通し、行ってきてくれた事そのものなのだと今は思います。

10年経った今でも、母に「ふれられる感触」を思い出せるし、母にふれた時の「温かさ」を思い出すこともできます。

そしてその経験を通し、子供や配偶者に沢山ふれる事の大切さを学び、その学びから更なる知識を10年で身に着け「そのふれ合う大切さ」を広めて行く為に

「子供の未来の心と体を守る為にオキシトシン溢れる世の中を構築する」を共通理念とした3つの協会を立ち上げ、大切な講師陣や会員さんと活動を広めております。

沢山の親子にふれ合う時間が子供にどのような影響を与えるのかなどを体験していただくファミリーセラピストセミナーは随時募集いたしております。
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